てんしの自由帳。

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私が文章を書く理由 。

 

 前置きとして、私の性の話を始めにします。

 

 小さい頃は裸を見られる事が恥ずかしいという概念が私にはありませんでした。だから、どうして体育の更衣室は男女で分かれているのだろうと不思議で仕方ありませんでした。何が恥ずかしいのか教えて欲しくてずっと両親や先生に聞いていました。しかし、納得する答えはなかなか返ってきませんでした。同じ人間であるのに何を恥ずかしがる必要があるのかわからなかったのです。身体的なことを気にして恥ずかしがるよりも、もっと精神的な事を気にした方がいいのではないかと思っていました。だって、人間は外見じゃなくて心だって先生は一生懸命教えようとしているじゃないですか。そのため、女子が着替えているところに男子が入ってきても、女子の皆は悲鳴をあげているのに私は着替えを続行することに抵抗がありませんでした。逆に悲鳴をあげてうるさくしたことによって怒られるのではないか、誰かを傷つけるのではないかとびくびくしていました。だから私は周りから本当は男子ではないかと疑われたりしていました。

 

 今一つ分かってきた事は、裸を守るという行為は、自分を守る行為と一緒だということです。しかし、他人から嫌われない事が何より大切であった私にとって、自分の身体というのはとても価値の低い存在であったのです。もはや〝自分の身体を意識する〟そのことですら罪悪感を感じて仕方なかったのです。そして、自分で自分を卑下し、他人の存在ばかり気にしていた私は、自分がいったい誰なのかわからない状態に陥いり、自分自身ではなく他人の視線によって期待されている自分を作り上げて演じていました。そのため、自分の身体が自分のものではない感覚に襲われていました。本当の私は他人の視線で作られた賢い良い子ではなく、もっとちっぽけでからっぽで臆病者であることに気付いた時には、もう私は年を重ねすぎていたのです。

 

 そんな私にとって、唯一自分を手に入れる方法が、自分で考えた言葉で自分の気持ちを文章に起こす事でした。その文字の中では、私は自由に発言することができました。日常生活では自分で書いた文章の中でしか本当の自分を見つけることができず、その文章で自分を作り守っているのです。口を通して出る言葉は相手の顔色に合わせたその場しのぎの言葉でしかなく、本当の事を言い表すことは困難です。そしてそれは本当の私ではありません。誰かに見られる文章を書くことは、今までため込んでいたエネルギーをぶつけるいい機会であるため、自分自身のことについて言及したくて仕方ないのです。そして、他人を私の世界の中へ引きずり込もうとします。反対に私は他人の世界に引きずり込まれることを拒もうとします。他者はひとりの人間として自分を文章で表現し、相手にぶつける事によって、相手を筆者の世界の中へ引きずり込もうとします。それは、私にとって尊敬する側面もあれば、嫉妬する側面もあります。確かに、他人の世界は私に色んな発見を与えてくれて視野を広げてくれます、が、それと同時に、私にとって他人の世界に引きずり込まれる事はせっかく手に入れた自分を手放す感覚に似ていて、とても悔しい事なのです。