てんしの自由帳。

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クラシカルリストカッター 。

 

午前四時、カーテンを開ければ、もうそこに、太陽がいまか、いまかと、登場準備をしているようだった。

 

 

午前四時、FMラジオからは、夜明けのゆったりとした空間を演出しようと優雅にクラシックがかかっていた。あたしは、イヤフォンの右と左を確認してから、右耳だけに音楽を垂れ流すようにした。生身の声はどこからも聞こえてはこなかった。ただ、太陽がずんずんと登っていく様子に合わせて、今まで暗がりに身を寄せ合っていた小鳥たちが、ちゅんちゅんと鳴きはじめた。その音だけが、あたしを包み込む生の音声だった。そして、あたしの内部から響き渡る、“もう、無理です。しにたいです。”という音も時折、心臓の音に合わせて聞こえてくるのだった。どくどくどく、よく聞けば、心臓はそうやって音を鳴らしている。どくどくどく。なるほど、心臓から毒が漏れ出しているのだと、あたしはようやく理解した。そう考えれば、人間なんて誰もかれもが毒で侵されているのだ。とめどなく、自分の心臓に毒され続けるのだ。どくどくどく。ちゅんちゅんちゅん。生身な音が次第に増え始めることに、なんとなく安堵した。それでも、わけのわからない気持ちがなくなるわけではなかった。どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう、誰に助けを求めたらいいんだろう、誰かに頼るなんてことはしてはいけないのだろうか、そもそもあたしがここで息絶えたって、飼っていたハムスターが脱走したほうが、みんな悲しむのではないだろうか。ちょっと待ってよ、意味わからないんだけど。どうして、あたしの気持ち、わかってくれないの?どうして、見捨てようとするの?ほら、あたしのことなんてどうでもいいんだよね?だからそういう態度、とれるんだよね?そうだよね、あたしにちゃんちゃら価値がないから、助けたって仕方ないもんね?いいよ、いいよ、どうせしょうもない人間だもんね。ごめんね、ごめんね、迷惑ばっかりかけてごめんね。ごめんね、ごめんね、生きててごめんね。あたしは、そばにあったノートに書きなぐった。ノートに書いたって、この気持ちが誰かに届くことはない。それでも、書かずにはいられなかったのだ。書いていくうちに言葉として認識するため、余計に気持ちが不安定になり、文字はどんどん汚なくなった。もう、シャーペンの芯は折れに折れまくっているのにもかかわらず、あたしは書けない言葉を書き続けた。どうしよう、どうしよう、こういう時どうしたらいいんだろう。わかんないよ、わかんないよ、誰か助けてよ。助けてよ、助けてよ。言葉にならない言葉はノートの上を悲しく踊り狂うばかりだ。

 

 

「午前四時からお送りしています、クラシックエアライン。次で最後の曲になります。」

突然、生身の声が、あたしの右耳を通して聞こえてきた。その声は、あたしの体を貫通していくようだった。

 

気付けばあたしは、汗ばんだ右手にカッターナイフを握っていた。

 

ドビュッシーアラベスク第一番。では、みなさん、ごきげんよう。よき一日を。」

 

あたしの狭い部屋に一気に暖かい光が差し込んだ。

 

 

あたしは、ゆったりと、左手首にカッターナイフをあてた。そのままスーッと、横に一本の線をいれた。しかし、すぐには血が滲んでこなかった。あたしはもう一度、同じ場所をなぞった。少しの痛みは感じるが、毒された血が流れ落ちることはなかった。あたしは、何度も、何度も、同じ場所をなぞった。少しの喜びを孕みながら。生まれてきたことをかみしめながら。気付けば、違う場所に刃をあてては線を入れることに躍起になっていた。そして、初めに線を入れたあたりが、赤くぷっくりと腫れていた。これが、あたし。これが、あたしの居場所なの。あたしは、カッターナイフを床に置き、右手の人差し指で赤く浮かび上がっているあたしの居場所を何度も、何度も、優しく撫でた。とても、愛おしく思えた。誰も助けてくれなくたって、あたしは、ここで生きていける。

 

窓の外は紫色に滲んできていた。太陽の光を全身で浴びる。火照ったままの体で、あたしは、柔らかい毛布の感触に溺れ、あたしの赤い居場所を恍惚と見つめながら、浅い眠りについた。

 

 午前五時、カーテンが運んでくる色彩は、太陽が運んでくる、燃えるような赤だった。